浜松市は昭和27年頃から競馬場の設置を積極的に推進していたが29年6月に正式に不許可になった
ちょうどその頃
1954(昭)6月1日:オートレース競走法の改正のより施行者は都道府県と五大都市に限られていた施行法が
所在市町村まで拡張された
浜松市もオートレース開催に乗り気になり
1954(昭29)年8月:浜松市議会でオートレースの実施を決議した
富塚町天竜川河口、三方原連兵場跡、中瀬川原等が次々と候補に上がっては消え
最後に和合町地水神谷に決定したのは昭和30年11月であった
同建設地は2つの山と3つの谷をならして周長800mの走路をとるという難工事であった
1956(昭31)年5月1日:浜松オートレースが開場される(主催:浜松市)
(ダート800m、幅員50m、曲率半径26m)
施行者・土地建物ともに浜松市で所有管理
当時は宣伝の制限もなく、浜松市競走会の職員らが桜色の大型バスに
「浜松オートレース」と横幕を張り東は静岡、西は豊橋・名古屋までキャラバンを組み
各駅で盆踊りを披露、便乗の河合楽器の楽団が伴奏
華やかな宣伝活動も行われた
また、同時期行われた”浜松まつり”も幸いしてか、ファンの出足も好調で順風満帆の好スタートを切った
1967(昭42)年12月8日:舗装走路による競走が開始される
<昭和56年度・浜松市主催・連勝式勝車投票券>
2006(平18)年4月:日本トーターに民間委託される
静岡県浜松市和合町936−19
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